2023年2月18日、JMAトップマネジメント研修・新任執行役員セミナープログラム内/経営者講演より
日本特殊陶業の設立は1936年です。そのルーツは森村市左衛門らが興した森村組(1876年)にさかのぼります。現在、当社ではセラミックの技術を生かし、自動車のスパークプラグや排ガスセンサーを筆頭に、情報通信、産業、医療などの分野にさまざまな部品を供給しています。海外の売上比率は86%に達しており、全体売上は5600億、従業員はグループ連結で1万6000人に上ります。
本社は名古屋市ですが、2022年3月には創業地である瑞穂区高辻町から、名古屋テレビ塔を望む久屋大通へと移転しました。弊社の製品の主体は内燃機関の部品なので、事業のドメインやポートフォリオを変えていかなければなりません。ビジネス街への本社移転は、「我々は本気で変わる!」という従業員へのメッセージでもありました。
新しい働き方を推進する環境づくりにも力を入れてきました。2021年8月、約5,000人が働く小牧市の工場に新たなオフィス棟が完成しました。若手の従業員に任せたところ、テントのミーティングルーム、ハンモックの休憩室、畳の部屋など多様な働き方が可能なオフィスを考えてくれました。この新オフィス棟のプロジェクトには、従業員に対して「心理的安全性」をしっかり担保しつつ、「自由な発想で新しいことを考えてほしい」というメッセージを込められています。
弊社は今後、セラミックの特性を生かして、「環境エネルギー」「医療」「モビリティ」「情報通信」といった分野に注力していきます。2023年4月には英文商号を「NGK SPARK PLUG CO., LTD」から「Niterra Co., Ltd.」(ニテラ)に変えます。ラテン語で「輝く」を意味する「Niteo」と時代・地球を表す「terra」の造語です。「地球・時代を輝かせる存在になる」という想いを込め、自動車のスパークプラグをはじめ内燃機関の製品の会社というイメージから脱却していきます。
3度の海外赴任で学んだ“リーダーとして大切なこと”私は社長になるまでに3度の海外赴任を経験しています。最初はドイツ法人でした。入社10年目の1987年からの6年間です。ここでの成果は本物のグローバルリーダーと出会ったことです。イギリス法人社長のジム・ヒューズは、コミュニケーション能力が高く、部下をモチベートする力に長けた人物でした。そして、何よりも組織で成果を出すことを大切にしていました。チームで成功すると、次に挑戦する勇気を得られる。勝つことによって成長することを教えてもらいました。
1996年には、オーストラリア法人の社長として赴任しました。市場規模は小さく、売上は約30億円で従業員も30人ほどしかいません。会社の規模が小さいから、すべてを自分で見ることができました。「いざとなったら人に任せる」という思い切りと、何よりも「最後は一人でもやる。絶対に逃げない」という覚悟がつきました。思えばこの6年間が私のトップ・マネジメントの原体験でした。
そして3度目の海外赴任は2005年のアメリカです。一介の部長職である私が、本社の専務ポストであるアメリカ法人社長に任命されたのです。経営陣の人事改革と新工場の設立が私の大きなミッションでした。在任中にリーマンショックが起きたことで、新しい工場を設けるのではなく、既存の2工場を集約することへ方針転換し、やり遂げました。
アメリカ法人は、売上が約500億円、従業員は800人の規模です。「自分は何をすべきなのか」「日本特殊陶業はアメリカで何をするべきか」など、自身や会社のアイデンティティについて深く考える時期でした。そして、残すべきものと変えるべきものを明確化することで、日本特殊陶業が活躍できる場を拡大し、存在価値を上げられるのだと見えてきました。
長期経営計画で深化・新化・進化し、真価を生み出すそして2011年、社長に任命されました。当時は、前年に常務取締役自動車関連事業本部長に着任したばかりでした。非常に驚きましたが、アメリカから日本の経営を見てきて感じていたこともあり、何かできるはずだと思い、社長になりました。
就任後、長期経営計画「日特進化論」を掲げました。3年ごとに「深化」「新化」「進化」をしていく。深掘りして、新しいことを考えて、さらに変わった進化をして、「真価」を生み、お客様に提供できるようになるという計画です。
2011年からの9年間で私が言い続けてきたのは、「うちの会社はグローバルであるべきだ」ということです。輸出比率が高いけれど、本社の人事総務は日本しか見ていなかったので、グローバル化された会社ではありませんでした。重要なのはフェアであり、従業員にフェアな評価をすること。そしてスピードです。「グローバル・スピード・フェア」をずっと言い続けました。
社長として取り組んだことをご紹介します。
「深化」のフェーズ(2011年〜2013年)では執行役員制度を導入しました。当時、取締役が23人いたので、取締役会が議論する場として機能していませんでした。そこで取締役を8名として十分に議論できる体制を作りました。
次の「新化」(2014年〜2016年)では大きなM&Aを行い、日本セラテック(現・NTKセラテック)とアメリカのWells社の全株式を取得しました。M&Aによって一緒になった会社に入り込んで仕事をする社員が増えてくると、日本特殊陶業との違いを目の当たりにし、多様性が生まれていきました。女性の活躍を推進するDIAMONDプロジェクトを開始したのもこの時期です。
そして、「進化」(2017年〜2019年)とその先の「真価」です。グローバル化を進めるなかで取り組んだのは、グローバルの本部(GHQ)が地域の本部(RHQ)に対するガバナンスです。現地の外国人社員を生かすために、RHQへ権限を委譲し、責任を明確化しました。GHQがガバナンスを効かせればそれだけRHQのスピード感は落ちます。ある程度のリスクも覚悟しながら、権限委譲をしなければならないと思います。
弊社では現在、私の後を引き継いだ川合尊社長が長期・中期経営計画に基づいて、事業の構造を変えるための新たなチャレンジをしています。テーマは「変えるために壊す。変わるために創る」です。世の中には「変化の激しい時代に経営計画は意味がない」という意見の方もいますが、私は経営計画があるからこそ、従業員との議論が生まれ、事業の計画が正しいかを判断し、修正していけると考えています。
フェアな組織を構築し、女性の活躍を支援するダイバーシティにも積極的に取り組んできました。女性や外国人が活躍できる環境を整えれば、有能な従業員は力を発揮できます。最も重要なのは企業風土を変えることです。フェア(処遇・評価)な組織を構築することにより、女性の活躍を支援する組織体制を整備するのです。これを実現するために、男性管理職の意識を変えるための教育、そして職場環境の改善にも力を入れました。私が社長に就任した当時は女性の管理職は3人しかいませんでしたが、現在は30人まで増えました。部長職も5名いますので、近い将来には執行役員も生まれると思っています。
製造業におけるDXのエッセンスは、職人的な匠の技をデータ化して、現場に落とし込むことです。4年ほど取り組んできましたが、データ化は非常に難しい。今はアナログで残していく部分もあると思います。目標はあくまで正しい技を次世代へつないでいくことです。そこを見極めながらDXを推進していかなければなりません。
そして、カーボンニュートラルです。弊社はセラミック、つまり焼き物の会社なのでCO2を大量に排出します。現在、調達から使用までを含めたトータルのCO2削減を目指して、削減施策と仕組みを設計しています。
経営に必要なのは絶対に譲れない「軸・JIKU」正解のないことにチャレンジするのが経営です。正解を出すのに必要なデータがすべて揃っていたら経営者など必要ありません。分からない部分があるからこそ、経営者として「これはうまくいく」「これはうまくいかない」という感性を働かせる必要があるのです。
経営者として、「これは譲れない」という部分があります。私はそれを「軸」と呼んでいます。この軸をしっかり持っていれば、決定はぶれません。そのうえで、自分の決定が正しいか、間違っているかが、分かるようになってくるのだと思います。自分なりの軸を持つことがマネジメントでは重要だと考え、海外社員向けのマネジメント教育でも、あえて訳さずに “JIKU”という言葉でその重要性を説いています。
スマートフォンの登場以来、社会は加速度的に変化しています。今後の50年間はさらにものすごい速度で世の中が変わっていくはずです。幅広いものの見方をしながら、しっかりと「軸」を持って頑張って経営をしていただきたい。それが私からのメッセージです。